特集 ソフト開発者への提言
インフォテリア株式会社
代表取締役社長 / CEO
平野洋一郎 氏
http://www.infoteria.com/

VS

アリエル・ネットワーク株式会社
代表取締役会長
小松宏行 氏
http://www.ariel-networks.
com/

「ベテラン開発者に聞く、ソフト開発者への提言」

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  • 日本人エンジニアの能力は高いと評されながら、ことビジネス・ソフトウェア開発の分野では、米国の後塵を拝し、その差はますます広がっているとする声がある。IT バブル崩壊、世界同時不況の逆風も吹き荒れる中で、国産ソフト開発を再活性化させる方策はあるのか。ソフトウェア開発エンジニアが、自身の明るい未来を切り開くために何ができるのか。コンピュータ産業の黎明期からソフト開発に携わり、米ロータスなど、強い米国のソフト開発の現場も目にしてきたインフォテリア (株) の平野洋一郎 氏、アリエル・ネットワーク (株) の小松宏行 氏のお二人に伺った。 (以下、敬称略)
  • ■日本のビジネス・ソフト開発はなぜうまくいかなかったのか
  • ―― 日本のコンピュータ産業の黎明期からこれまでを振り返って、日本のソフト開発が必ずしも成功できなかった理由は何だったのでしょうか?
  • 平野:1970 年代後半から 80 年代初頭のいわゆるマイコン時代には、日本でも各大学の前にいろんなソフトハウスがあり、言語から OS、ゲームに至るまで、何でも作っていました。米国のスタンフォード大学やマサチューセッツ工科大学の周囲に多数のソフトハウスあるのと同じような状況です。私自身も熊本大学の近くにあったキャリーラボという会社で日本語ワープロなどを作っていました。「ソフトウェア産業の芽」という意味では、このころは日本もアメリカも、そう大して違わなかった。しかしその後、この「芽」は米国ではうまく育ち、日本ではあまりうまく育ちませんでした。

  • ―― 原因は何ですか?

  • 平野:外的な要因としては、ベンチャー企業への投資環境の違いがあったと思います。私がいたキャリーラボは、その後数十人規模まで成長したのですが、結局は分裂してしまいました。当時の日本には、米国のベンチャー キャピタルのように、ベンチャー企業に投資してリターンを狙うというしくみがなかった。ソフト製品を開発するには、投資資金が必要です。投資を受けられない環境で、小さなソフトハウスが資金を作るための近道は受託開発です。製品開発と違い、受託開発は最初から売り先が決まっていて、確実に売り上げられますから。そして会社の規模が大きくなってくると、社員を養うための日銭稼ぎの必要性がどんどん大きくなって、いつしか製品開発より受託開発が優先されるようになってきます。投資のために日銭稼ぎが必要という自己矛盾ですね。やがて単なる移植や受託開発を敬遠する開発者と経営者は対立する。キャリーラボでは、私を含め開発者のほとんどがこれで離脱して運営が立ちゆかなくなりました。これに対し米国では、ロータスにせよマイクロソフトにせよ、ベンチャー キャピタルからの投資資金で製品開発に専念して成功を勝ち取った。先を見据えて、作る側も投資する側も活動する。そこに第一の岐路があったと思います。

  • ―― そういう意味では、日本でもベンチャーへの投資環境は整ってきました。

  • 平野:そうですね。大切なのは、人生を台無しにすることなく失敗できる環境があることです。うまくいけばそれでいいが、失敗してもご破算にして次に行ける。昔から日本にあった銀行からの融資モデルでは、担保や個人保証などを取られるので、「失敗=人生の破滅」になってしまう。これではチャレンジできません。しかも、融資で調達できる規模は小さい。この不況で投資資金の調達は難しくなっているでしょうが、それでもあの当時に比べればずっと恵まれた環境にあると思います。

  • ―― ソフト開発に対する日本人のメンタリティという意味ではどうでしょうか?
  • 小松:日本人は顧客満足度を追求するのが得意だと思うのですが、ことソフト開発については、この点がマイナスに作用していると思います。もちろん、顧客満足の追求はよいことなのです。しかし目の前の顧客が満足することばかりに集中してしまうと、汎用性に欠けた、非常に適用範囲の狭い製品ができてしまいます。これに対し米国のアプローチでは、目の前の顧客だけでなく、できるだけ幅広く、世界レベルで通用するプロセスの開発や、全体最適を常に意識して開発を進めます。

  • ―― いわゆる「島国根性」でしょうか。

  • 小松:日本人は、外に向けた意識があまり高くないと感じます。私の考えでは、本来ソフトウェアは、どんな人が触っても同じ結果を出す究極のマニュアルであるべきだと思います。日本人はニッチの追求は得意だが、こうした究極のマニュアル作りは苦手といえるでしょうか。言い換えれば、日本人は技術をつきつめるのは得意なものの、その先にある科学に移るのは苦手。技術より科学の方が汎用的なものですから。

  • ■「真のアーキテクト」不在

  • ―― 日本のソフト開発では、全体的なアーキテクチャ デザインが弱いという話を聞きます。米国には優れたアーキテクトが多いのでしょうか。

  • 小松:私はロータスやネットスケープなどの米国企業で開発の現場を見てきましたが、これらの現場には、コーディング能力はもちろん、マイクロプロセッサなどのハードウェアから上流設計まで、システム全体を見通すことができるエンジニアがいて、全体のアーキテクチャをデザインしていました。これらのエンジニアの技術力は本当に高くてびっくりしたものです。

  • ―― なぜ米国ではそうしたエンジニアが育つのでしょうか。

  • 小松:エンジニアを育てるキャリア パスがあること。しかも、これが単一の会社内ではなく、業界全体でパスが確保されていることが大きいと思います。

  • ―― 業界全体のキャリア パスとは?

  • 小松:簡単にいえば、エンジニアがエンジニアとして技術で生きていくために、必要なら転職が容易だということです。平野さんのお話にもありましたが、技術者と経営者、技術者と営業担当者が対立する場面があります。経営者や営業担当者というのはお金に近いところにいますから、会社内での発言力が大きい。技術者としては自分の考えを曲げたくないと思っても、会社を飛び出す覚悟がなければ、最後まで経営や営業に反対し続けることはできません。残念ながら日本では、特に年配のエンジニアの転職はそれほど容易ではなく、会社から飛び出すことは、業界から投げ出されることのように感じている人もいます。これに対して、米国では、技術力さえあれば、それを必要とする会社はいくらでもあるし、転職も当たり前なので、会社と経営方針が合わなければ、会社を辞めて別に行けばいいだけのことです。業界全体でキャリア パスが保障されているので、エンジニアは信念を貫いて生きていけるというわけです。

  • ■by nameの仕事

  • ―― 日本では、年配になって高給を得たければ、エンジニアではなくマネージャになる必要があるといわれます。

  • 平野:多くのソフトウェア開発業では確かにそうだと思います。一方、インフォテリアでは、エンジニアがマネージャにならなくても成長できるパスを用意しています。現に、私とインフォテリアを創業し、CTO を務める北原 (北原淑行 氏) は、今でも第一線でコードを書いています。人をマネージしないと価値が上がらないという発想の背景には、ソフトウェア エンジニアの能力やアウトプットの差が個人によって大きく違う点を認識していないということがあると思います。優れたエンジニアは、エンジニアとしての高い価値を全うしてもらうべきです。顔や名前のない人数で認識するエンジニアではなく、うちでは常に by name ( = 顔や名前のある個人) で仕事をしてもらっています。

  • ―― しかし経営者の立場から見ると、個人が突出するということは、部分的にせよ特定個人への依存が高まることになり、その人が退職してしまうという人材流動化のリスクが高まりませんか。

  • 平野:実際、うちでも辞めて独立したエンジニアがいます (笑)。エンジニアに限らず、名前が売れてくると、社外で通用するようになってくるので、引き抜かれたり、独立したりする可能性が高まります。これはリスクですが、「それでもいたい」と思ってくれる会社にするのが私のチャレンジですね。

  • ―― 具体的に、インフォテリアさんではエンジニアに対して特別な配慮をしているのですか。

  • 平野:さすがに米国のように個室というわけにはいきませんが、仕事環境にはかなり配慮しています。できるだけ広いスペースを与え、背の高いパーティションで四方を囲まれたブースにして、エンジニアが作業に集中できるようにしています。日本では横並びの狭い島机で作業しているエンジニアも多いようですが、あれではクリエイティブな仕事は難しいと思います。それから、日本では使うマシンやソフトに制約のあることが多いですが、うちでは、必要だと思ったハードウェアやソフトウェアは何でも買ってよい、ということにしています。

  • 小松:by name の仕事を尊重するというのは同意なのですが、単純な属人化と混同しないように注意が必要です。先に述べましたが、ソフトウェアの理想は、誰がインプットしても最良のアウトプットを得られるように、すべてのノウハウをソフトウェアの中に盛り込むことです。従って究極的に完成されたソフトウェアは、それを開発したエンジニアには依存しません。短時間で見れば、特定のエンジニアに依存した状態があったとしても、最後はそれを解消するのが優れたエンジニアの仕事だと思います。

  • ■同じものを別々に作っている現在の SI は必然として苦境に立たされる

  • ―― 日本にはシステム インテグレータ (以下 SIer) が多く、顧客からの案件をまるごと引き受けてシステムを開発・導入するケースが多いようです。これについて、さまざまな弊害が叫ばれています。

  • 平野:端的にいってしまえば、無駄が多いということです。日本中に何千という SIer がいて、それぞれの顧客に似たようなコードを山ほど書いて売り上げを立てています。本来、ソフトウェアの最大の利点は、目減りすることなく、ほとんどコスト ゼロで複製できることです。開発には莫大なお金がかかるが、生産と流通にはほとんどコストがかからない。しかし日本の受託開発の現状は、この最大の利点をまったく生かしていません。

  • ―― 今注目されているクラウド コンピューティングが普及すると、クラウドの向こう側にある共通コードを多数のユーザーが共有できるようになります。不況やクラウドの普及により、SI 業界は厳しい苦境に立たされますね。

  • 平野:少なくとも、現在のように至る所でみんなが同じようなコードを書くことは必然としてなくなっていくでしょうね。

  • ■エンジニアの仕事がつまらない

  • 小松:業界全体の利益も気になるところですが、エンジニアの仕事がつまらなくなって、マインドが低下したり、これから IT エンジニアを目指す若手が減ってしまったりするのが心配です。無駄に思える仕事をいつまでも発展性なく続けていたら、仕事はどんどんつまらなくなります。いまや IT エンジニアの仕事は 3K などと揶揄されますが、何より仕事がつまらなくなったというのが大きな原因ではないかと思っています。

  • ―― どうすれば面白くなるでしょうか。

  • 小松:例えば文章を書く「物書き」の仕事があったとします。雑誌の小さな囲み記事を書く仕事もあれば、長編小説を書く仕事もある。囲み記事の方は、編集方針も記事の内容も別の人に決められていて、求めに応じて書くだけです。これはちょうど、言われるがままに、歯車としてプログラムを開発するのに似ています。これだけではあまり評価されないし、いつまでも囲み記事ばかりでは進歩もなく面白みもない。やはり将来的には、全部のプロットを自分で考えて長編小説を作り、細部まで自分で作り込めるような力量を持ったエンジニアを目指すべきです。こういうエンジニアこそが真のアーキテクトだと思います。

  • ―― 「囲み記事」もステップアップのためには必要ですね。

  • 小松:そのとおりです。しかし日本の大手 SIer では、コストの問題からそういう部分を下請けの外注に出してしまっている。やはり真のアーキテクトになるには、コードの作成経験が欠かせません。ステップアップのチャンスが失われれば、アーキテクトは育ちませんし、そうしたアーキテクトがいなければ、周りが触発される機会もありません。本当に楽しい長編小説作りに誰も手を付けられない。これでは仕事が楽しいはずがありません。

  • 平野:そういう会社にいるかぎり、長編小説を書くこともなく、名前もなく、歯車として働き続けるしかない、ということですね。これじゃ楽しいはずがない。

  • ■読んで分かった気にならず、自分の手を動かす

  • ―― IT エンジニアが楽しく仕事をするために、また学生が将来の開発者を目指してもらうために、何をしたらよいのでしょうか。

  • 平野:とにかくエンジニアが楽しくソフトを開発することでしょう。現在は自分で商用のコードは書いていませんが、今でもソフト開発は楽しくて仕方ないんです。自分が考えていることがそのまま形になる。作ったものを世に出せば、それを使った人からフィードバックがどんどん得られる。自分ですべてを創造できる。まるで神様になったような気分です (笑)。普通の物作りでは、人や設備がないと出来なかったりしますが、ソフトなら一人でできます。さらに今はインターネットがあって、自分が開発したソフトを地球の裏側でも使ってもらえる。ますます楽しくなっていると思うんです。

  • ―― 具体的にはどうすればいいですか。

  • 平野:仕事が楽しくないエンジニアがいるとすれば、好きなものを作っていないからではないですか。確かに受託で言われたものだけを言われた通りに開発するのはつまらないかもしれない。だったら例えば、仕事外の自分で楽しいと思えるオープンソース コミュニティに参加して、好きなものを作ったらいいじゃないですか。とにかく自分で好きなコードを書け、といいたい。

  • 小松:そうですね。インターネットの普及で情報があふれて便利になったのはいいのですが、どうも情報を読むだけで分かった気になって終わっているケースが多い気がします。私は今でも、最初に BASIC 言語を勉強して、教えられるままではあれ、コードを入力して、それが動いたときのうれしさが忘れられません。コードを読むだけで終わりだったらそうはならない。何でもいいから、自分の手を動かしてみることだと思います。今の時代、見ただけで分かったような気になる人が多すぎます。

  • ―― オープンソース コミュニティは日本にもありますが、米国に比べると活発ではないように思えます。

  • 平野:日本人は間違うことを恐れたり、恥をかくことを恐れたりしすぎます。米国の開発者カンファレンスに行ってみてください。セッションの終わりに、会場の参加者からの質問を受け付けると、向こうではマイクの前に行列ができる。でもどんな質問をするのかと思って聞いてみると、ほとんどはくだらない質問。日本人だったら、恥ずかしくて聞けないようなレベルの質問だったりします。向こうではぜんぜん平気です。あれくらいの厚かましさが必要なんじゃないですか。

  • 小松:とんちんかんなことを言ったらどうしようとか、場の雰囲気を壊したらどうしようとか、そんなことは気にしなくていいんですよ。

  • 平野:見ただけで分かった気にならない。バカにしないで自分の手を動かしてみる。恥ずかしいという気持ちをこの際捨てて、オープンソース・コミュニティに飛び込んでみる。エンジニアなら、これで必ず何かを感じるはずです。

  • (2009 / 3 / 10 公開)


  • <出演者紹介>
    平野 洋一郎 氏

    熊本県生まれ。株式会社キャリーラボ設立にあたり熊本大学工学部を中退。1983 年 〜 86 年、キャリーラボにて、日本語ワードプロセッサ「JET」シリーズを開発。1987 年 〜 98 年、ロータス株式会社にて、表計算ソフト「ロータス 1-2-3」、グループウェア「ロータスノーツ / ドミノ」などの製品企画、マーケティングを統括 (元ロータス株式会社戦略企画本部副本部長)。1998 年、インフォテリア株式会社を創立し現職に就任。2007 年、インフォテリア株式会社が東証マザーズに上場。
  • 小松 宏行 氏
    広島県生まれ。1987 年に東京大学理学部数学科卒業後、 (株) 日本ディジタルイクイップメント入社。その後 1994年 ロータス株式会社に転職し、デスクトップ製品の開発に従事 (第一開発部長)。以後、1997 年 米PointCast Inc. (International Data Center Project Manager)、1998 年 Netscape Communications (Senior Manager of Server Internationalization)、2002 年 アリエル・ネットワーク (株) 入社。2004 年 代表取締役社長、2008 年 代表取締役会長に就任、現在に至る。